100年は見込んで、今を行動すべき 

JIDA 70周年記念出版応募原稿転載20221216                       

(作成20221112)

 

100年は見込んで、今を行動すべき                                   

  ―「表現するデザイン行為」の真の社会認知を求めて―     大倉冨美雄

 

一人で何か出来るのか? デザインは社会的な行為であり、個人で出来る事には限りがある。では協力集団なら? でもデザイナーは一般に多様な価値感に翻弄され、なかなかまとまらない。それでも個人の発想力がベースである以上、それを活かすしかない。

そんな考えに振り回されるのはイタリア生活経験もあるが、日本人にある何か「壁」のようなものにぶつかったからだ。

グローバル経済もナショナリズムも、経済優先と専門分化で効率化・規格化し、この社会を複雑にし、人をこれに従わせて来た。日本の社会構造は外来文化の表面だけ受け入れて規制化されたので、それまでの文化力を旨く継承したとは言えない。それらが、論理性や説明力に弱い「美」や「個」を活かす文化の本質を軽視する社会を作ったと思う。「知的生産サービス」や「表現するデザイン」はその渦中にある。デザインは視覚芸術の転換や技術革新に乗って発展し、IDも経済成長に寄与はしたが、その本質や救済が明示され、完成されたとは思えない。流れを本質に近づけるのは一朝一夕では済まない。

対策は人知を、100年先を見込んで発信する事だ。その頃には独断の想いでも自然に共有され、個の能力も正当に評価されているはず、と考えて。

そのためには、言葉で表現出来るものと出来ないものがある。まずは言葉にしなければ伝わらない面の対応で、我々は小さなNPO で「『クライテリア=基準』からデザインについて考える」という、発想から実現までの流れの明示化を試み、公知化しつつある。

もう一つが「アート体験などで培われる感性価値」を、視覚的、体感的な表現で提示していく事。前記の流れからの発信でもいいし、個人の想像力からの発信でもいい。

いかにテクノ情報化が進んでもデザインが、より感性的で本質的に美しい社会形成に寄与する可能性は高いはずだ。