「創造」とは言え、ゴミの生産に寄与する人生でないために

久し振りに、考えを書き連ねてみた。

まずは、香山壽夫のドローイング展を見ての印象から(20211024~27~11/01)

 

 

「創造」とは言え、ゴミの生産に寄与する人生でないために

—―長たらしい話だが、自分の考えが現代史に関わり、それを簡略に集大成したものとすれば、付き合って貰えるかと—―

 

周りに振り回された青春時代とその後

専門家の間ではよく知られた建築家である香山壽夫(こうやまひさお)氏の「ドローイング展」が開催されていた(建築家会館:渋谷区神宮前2‐3‐16。2021年10月24日まで)。

コロナの見かけ(?)の収束をいいことに出かけ、十分、評価に値する素晴らしいドローイング(建築設計図面)やスケッチを見せて貰った。

 

でも、これだけ描けて東大卒? 偏向した考えかも知れないが、という気がしたのは自分でも意外だ。

最近行った、自分の考えを述べるオンライン・セミナーで、高校時代の受験の苦痛を語り、それがこの社会への疑問になった、と語ったばかりだ。東大に入れなければ一人前ではないと言わんばかりの当時の受験世相(今も? 情報の少ない当時の、地方高校ならではの締め付けも意識して欲しい)で、どんなに努力しても学内で20~30番という自分の学力に苦しみ、自分は何が出来るのか分からなくなり、意識の路頭を彷徨っていたあの頃、4才ほど年上だったらしい香山氏は、さっさと東大に入ったのだろうか。

東大に入れてこれだけ描ければ、もう何も言うことは無い。それはそれで脱帽の至りだ。

じゃあ、お前はどうなるのだ?と、考えたときに、やはり近い世代、或いは同世代であっても、香山氏とは違う山へ登ったのだと思わずにはいられない。

僕は東大とは全く別の山である藝大へ向かったことによって、同じように「描けたとしても」、論理的に考える教科や空間が周りにほとんどなくなり、全く別の価値観に染まってしまった、としか思いようがない。それが「芸術的価値の問題」である。

 

当時の建築設計界は想定するだけでも、イメージはクリアーだった。

前川、丹下を頂点とするような光彩を放つ人材が並び立ち、そこから学ぶという暗黙のルールのようなものが出来ていた。香山氏もその中で育ったか、足掻いたのではないだろうか。

僕は幸か不幸か、その波に吞まれなかった(とは言っても、吉村順三の授業には出ていた)ことによって、結果として建築を作家主義的に規定せず、経済社会の流れの中で捉える視点を育ててきたと言えるのかも知れない。

そこから、この激変する現代の大問題は、自分の考え方の明確化、つまり哲学の視覚化が主題であり、それは新しい羅針盤の自己設定というような事かもしれない、と思うようになった。この時代が求める本流は、個別の表現作品を求めているのではない、という考え方になってきたのだ。

それが最近、オンライン・セミナーで紹介した「クリエイティブ〔アーツ〕コア」という考え方に繋がった(セミナーはYouTubeでも発信。日本建築家協会から関東甲信越支部に入り、「住宅セミナー」から「イタリアとは、日本人、クリエイティブ〔アーツ〕コアとは」に入る。そこにYouTubeボタンがある)。

 

客体性が大切なのか、主体性はどうなる

ここまでは前触れである。

作家主義的に規定せず」と言ったが、それは「作品ありき」ではないとも言える。じゃあ、何をすればいいのか?

今、ここで書いているのは自分の想いであり、その表現手段は「言葉」である。

身近に「この男」を見てきた家内は見抜いている。「あなたは言葉の人ではないでしょう? なぜ作品を創らないの?」

作品が建築であるとするなら、もうやる気がない、のではなく、自邸とか、信頼してくれる施主(発注者)でも出てくれば別だ。その核心的問題は、今や、設計自体が個人能力には重すぎる法的規制に縛られ、一方で施主の、良く言えば成長化、別な言い方では多様な情報が採取しやすくなり、宣伝効果、誘導効果の優れた組織に依存することが当然視されるようになり、そこに経済優先社会の価値観が加わり、「カネを出す私の言うことを聞くのは当然」とも言える発注者心理がどんどん強くなっていることだ。自分の関心に合ったそれなりの情報を得易くなり、施主が自ら多くを学べれば学べるほど、それに応じて、受注責任を分散し情報化に備えられる大中企業の得意分野となる。

こうなると、時間を掛けて発注者との目に見えない信頼関係を築いていくことが最重要になってくる。それは大切だが、そうなると自分の想う創造の核心がずれてきてしまい、人生目的と違ってしまうのだ。「そっちまでは行けない。行ってもいいが、戻れる確信がなければ」という所が、美大育ちの限界なのだろうか。

自然に建築を「作品」と捉えることが出来て、発注者と同じ位置に居れる家内のような立場なら、この苦渋は、あっても当然と思えるだろうし、知らなくてもいいし、知っておく義務もない。このことは一般社会でも通用する認識であり、家内が間違っているわけではない。つまり、これは経済活動なのか、芸術活動なのか、である。従って、前向きに歴史を見据えて話を聞いてくれるよう、日々努力はしているとしても、いちいち説得主義的に説明は出来ないし、そのように説明すれば、負け犬の遠吠えとしか聞こえない可能性も高い。

こうして問題は、深い泥濘(ぬかるみ)に入る。

 

 設計業務に専念できなくなった1990年代以降

問題を戻す。 香山氏が建築家として評価されるのは、その誠実な仕事ぶりと建築としての美しさ、場合によってはそこにある尊厳感によって、と思われる(専門家評価としての、機能、構造、基本計画などは承認済みとして)。それは我々にとって、ある意味で建築家のあるべき姿であり、師匠の姿であるとも言えよう。但しここで、これを「近年までは」としたい。

それが可能であったのは恐らく、1980年代までだったのではないか。今。思い返すと1990年代に入って社会状況が急激に変わっている。91年にバブル崩壊が始まり、インターネットの発展により情報化社会が急加速した(設計業界ではCADの進展も大きく影響)。

80年代の終わりまでに、社会的地位を確立できた設計事務所、それもコンペなどで名前が知れてブランド化できたか、ゼネコンなどとの業務連携がしっかりしている、地域の行政認知にも繋がる足場を築いている、すでに多くの優良な施主を抱えている、或いは、若いうちから大学教授などになり、兼務で事務所を維持でき、ビジネス感覚もあったなどの下地が出来ていた中小設計事務所が生き残ることが出来たように思う。もちろん90年代になっても、上のことを地道にやって生き延びている事務所もいるだろう。また、頼まれたらやるという受け身だけではなく、積極的に不動産投資などまで心掛けたり、日銭を稼げる事業と並行させたり、という生き方も生まれてきた筈だ。但し、個人事務所だけでよければ、専門家なら誰でも出来るが、大きな仕事は受けられない。またここには、建築家の少なからずが経営能力に問題があるともいえるが、そこまで来ると、文化をサポートするべき国や国民の姿勢、保護システム、規制、条例が持つ問題とも繋がってくる。

つまり、これらが正しいなら、この時期を境にして組織化した建築設計事務所維持は、その多くがどん底に向かっていったと思わざるを得ない。ついには象徴的な2005年の「姉歯事件」に至ったのだ。

こうなると、仕事を取れるかどうかだけで精一杯となり、「いい仕事をするための建築家らしい振舞い」どころではなくなる。

つまり、それ以降設立の設計事務所は、香山氏のようには仕事が出来なくなったのだ、と思いたい。

これは、遅くになって建築設計事務所を始めた(1980、昭和55年、39才)自分の実感であり、最初の10年とその後では大きく違っている。

 

 壁に掛ける「アート」では気が済まない

そこで話題は現在に至る。

持てる個人の能力を最大限に引き出すのに、僕には建築設計は最適だが、以上のように、今ではその主要業務は対人対応・組織消化(効率よく事務所を維持する)、情報管理事業であり、システムが供えられないとなれば、単独事務所では完成まで持ち込めない。

 

ところが一方、個人の資質内で行える芸術作品制作活動となると、自分の観点からは、「現代は、芸術は解体している」と言わざるを得ない。ここに辿り着いた否定的な判断への合意を得るには、それなりの時間(100年単位を目安とする歴史的視点など)を要するだろうし、かと言って、個人の自由裁量ゆえ、創作行為をしている作家個人を非難出来るものでもない。

過日も驚いたが、案の定と言うか、巨大キャンバスを埋めることに人生を掛けている女流画家がいて、その紹介があった(「巨大画で紡ぐ一大叙事詩」遠藤彰子展:日経新聞2021/10/23/解説:赤塚佳彦・平塚市美術館12月12日まで。500号(248,5×333,3㎝)を2枚結合など)。

この大きさになると建築的空間が意識されそうで興味深い。「圧倒的な巨大画は、見る者すべてを絵の世界へといざなう」「数メートル離れなければ、全体をつかむことも出来ない」という作品群はまだ見ていないが、描いてあるものが怪物や太陽や雲の様であり・・・となると想像がつく。そこにあるのは「死の匂い」であり、今の世界(コロナ禍)にある「重苦しさ」だという(「黒峠の陽光」2021)。

所で、僕が描きたいとしたら、こんなものではない。「時代への意識も研ぎ澄まされていく・・・不安定で不確かな時代の空気が表れている」ことで現わされる生死の匂いが、歴史性を感じさせるのは悪くないが、今の自分で言えば、平穏で自然な空間でいい。なら、何を描く?となって行き詰る。それに、壁に掛けて見に来る人だけを待つ、というのも想いに合わない。

 

 「禅」的な考えは正当なのかも知れない

香山氏の着色図面のあるものには、執念深いリタッチの痕(あと)がある。

これは図面でなく絵である、と思い込めば、大きさの問題は別にしてこれでもよい、という気持ちになる。

香山氏の表現対象への意欲も、遠藤氏のキャンバス上で死への恐怖に向い合う意欲も、当面の僕には持ちきれない。その背後に、三木清が言った「人間は虚栄のために生きている」という趣旨の感覚も活きていれば、なおさらだ。

この後、何億年も待たずに地球が無くなるという事実(?)があれば、変にモノを造り残すのは止めて、美しく、地球上でこの場を汚さずに、生きれるだけ生きて終わるのが最大の善ではないか、という気持ちにもなるのである。

その考えを後押ししてくれる妥当な考え方が「禅」なのかも知れない、との思いが出てきている。個人を問題とし、歴史的、社会的な存在としての意味付けが出来ているように見えるからだ。

「禅は、いい一生を遂げることが出来た、と最後に思えるように生きるにはどうしたらいいか、という問いに自ら向き合うもの」(「海外セレブはなぜ禅にはまるのか」枡野俊明:文芸春秋2021/10月号)という記事に出会った。

 当面、「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンが分泌されるとしても、坐禅を組めばいいと思っている訳ではないし、禅的な考えは既に自然と自分の内にあるという気もしているので、これを発見した、などと大騒ぎをする気はない。それでも、スティーブ・ジョブズが言っていたという、「私は毎日、鏡に映る自分に問いかけるのです。もし今日が人生最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか、と」という言葉は、更に学ぶに値する深いものを感じている。

 文春で知った枡野住職(建功寺・横浜市)の話は面白い。禅の考え方を取り入れたという稲盛和夫ジョブズを比較して、「ジョブズは主に製品開発に禅を生かしたが、稲盛は経営姿勢に禅の思考を徹底している」という。

それでも自分の内に整理がつかないのが、住職が「坐禅のような『無心になれる時間』は、何より贅沢で、今一番必要とされている時間なのではないかと感じます」とする一方で、「禅では、マイナスをプラスに転じて考えます。『これがあるからできない』でなく、『こういう制約があって今はこういうことができないから、逆手に取ったらこういうことができるよね』と考えるのが禅の発想なのです」という辺り。

 無心が最高の時間なら、こういう効率的行動科学のような考え方は浮かべてはいけないのでは?という気になる。ジョブズが商品開発への判断力に、稲盛が経営学的視点に禅を盛り込んだのが正解であるなら、こういう考えも許されるということか。「禅の美というのは、できるだけ余分なものを削ぎ落とす『引き算』の発想」だそうだが、個人の主体性を主な視点にしている以上、これで良いのかも。

 こう考えるからこそ、枡野住職が「庭園デザイナー」と称する2業を兼務できるということなのだろう。禅寺の住職と庭園デザイナーは絶妙な組み合わせだ。しかし、今の自分に禅僧になる気はない。

 

NPO日本デザイン協会の未来はどうか

ここまでで判ってくることは、解答を求めて言っていることが「創造主としての個人の価値と存在意味」という価値設定の有効な活動方策について、である。前述した客体性と主体性の観点から、客体側の立場、つまり「創造主として、モノや空間を生み出す必要は無い。理念的に考えを実行すればいいのだ」とした時には無視してよいのか。

それをうまく表しているかも知れないのが、非営利組織の活動だとしたらどうなるだろうか。

このことは当面、下り阪を受けて、誰も受け継がない名ばかりの理事長と言う肩書を僕が持っているNPO日本デザイン協会の事業の存在意味を問うことにもなる。

これも、客体側の論点から推測して、いいことをやっているのかな、と思われる人物を知った。

現代社会は、人よりも上に、人よりも早く、人よりも多く、というシステムに組み込まれ、我々を苦しめています。そんな時、人はどんな時に幸せを感じるのか、一度立ち戻ってみることが必要です。その受け皿が非営利組織だと感じ、アメリカ、イギリスに留学し、非営利組織の経営を学んだのです」と言うのが金子洋二准教授だ(大正大学地域創成学部:日経新聞広告2021/10/29「2050年の家作り③ゼミナール:共生」広告主:HEBEL HAUS)。 

NPOを通じてまちづくりに取り組んでいるとのことだが、当然のことながら、「人交密度(地域住民のしっかりしたコミュニケーションの度合)」、「人の循環(牽引役の入れ替わり、世代交代)」、「まちづくりに必要な三つの要素(ハード:建物など、ソフト:ハードを資源として上手く使う、ハート:住民の願い。自主決定の自由)」を活かす「未来デザイン」の手法、「コミュニティーは二つある(地縁型、テーマ型)」など、再確認出来るまちづくりのポイントを言葉にしてくれている。

しかしこれは、必要な所作だが、システム構築、組織運営、政治的判断力などの行使が主体の活動であり、「ある理想の住まい方を共有しながら今までにないコミュニティー形成するという新しい地域の作り方は最先端で研究していくべきテーマです。家は重要な要素です。長く住める家ならば、それが未来ビジョンの基礎になるのでは」となると、それを証明するだけでなく、結局広告主のサポート役として、「作ってくれる」へーベル・ハウスの仕事のための前触れとなっている。

こうなれば、当協会の「作る(表現する)ことをベースに置いた活動」は、より根本的なものではないのか。

 

まとめに

 当面の自分の考え方、行動についてまとめてみた。

 高齢化が進むと何をするにも億劫な状態が生じ、そこにコロナ禍が生じたこの2年ほどは、特に行動が制限された。前述の遠藤彰子展も行かず仕舞いだし、家内が参加する俳句の会がゴッホ展を見ての句を求めているので行きたいと言っても、貸し出した長谷川潾二郎の絵があるので行かなければと思いつつも行っていない。このように展覧会でさえも、この状態であり、そのことは自身の展覧会企画でさえも疑問視する現状がある。香山壽夫のドローイング展を見に行ったことは例外的な事だった。

 意外なことに、息子と家内の歩み寄りがあり、新しく別荘を建てようという気運が急に強くなり、その試案を考えているうちに、ここに思いの課題を纏められないか、という気持ちが強くなっている。

 出来れば、そこに実現したい夢を凝縮させることも正解のひとつなのかも知れない。 20211205