「ラファエル前派の軌跡」展を見て

いい展覧会だった。

家内が嫌がっていたように、一見、この展覧会の見せ場は、ロセッティの描く「運命の女」(主役はモリスの妻である場合が多い)を並べることではないか、と思われがちだったが、やはり違っていた。

その分ではいいのだが、一通り見て、また戻り、念のために音声ガイドも借りてもう一度見てみたが、発生順に絵画を展示しても歴史の必然がなかなか読み込めない。

見えるもの(絵画や家具、テキスタイル)を並べるだけでは、必ずしも開催主旨の全容がうまく伝えられるわけではない、と言うことが実感できた展覧会だった。

ラスキンの想いがモリスにまで繋がるには、見せる展覧会だけではダメで、ラスキンの考え方の分析から始めて、相当深くまでこの時代の歴史と哲学、宗教まで、現代語訳しなければならないと実感した。結局、6時の閉館まで、2時間近く見てみた結論である。

それでも解読すべきは、モリスではなくラスキンである、ということが得られた大きな収穫だった。

「再び、レオナルド・ダ・ヴィンチの世界が来る」

令和元年の夜明け、5月1日朝6時。寝苦しい夢を見て、起き出した。

この鬱陶しい夢の話は,身内の争議だから後にしよう。

そこから思い上がり、考えついたのが上記のタイトル。つまり次に書くべき本、すなわち考えの表題だ。

ダ・ヴィンチ」は例え。一般人にも判る言い方として、これほど解りやすい固有名詞は無いだろう。日本人に比較できる人物が思いつかないのが残念だが。

生まれて生きている間、何か表現せずにはいられないのが人間。その人間心理に近いところで表現が可能なのが言葉。しかもポータビリティがいい。その最高なのが短歌や俳句かもしれない。特に自作短歌の紹介番組を見て、改めて短歌への想いが増した。

それに引き換え、美術、特にデザインや建築となると、保存や維持がただ事ではないから、よほど的確な才能が無ければこの地球にゴミを生み出すだけになる。それはモノを残すという考え方からだが、ビジュアルと図面データとして残すことが出来れば後世に再現は可能になる。

その上で大切なのは、芸術の歴史的転換点からの言動であろう。その意味で、今、クリエイティブ系諸職能の統合、その道に沿った生き方の提示は最重要な言動と言うことになる。その解りやすい実例がレオナルドだろうということだ。

シンギュラリティの行きつく先にあること、人間の尊厳に関わる問題がこれだ。そしてこの事こそ、自分が言い残さなければならないことだと自覚した。

恐ろしい情報管理

「恐ろしい情報管理」というと、国際スパイの話かと、思われるかもしれないが、どっこい、個人事務所のワード記録70ページ余りが、あっという間に消えた、という小さい話。

タイトルを私家版と、公開版に分けようといじっていたら、消えた。

江戸末から現在までの公的記録のうち、自分に興味のある、あるいは職能的に関係のある事象をデータ保存し始めて2年ほどになる。まさか消えるとは思っても居ず、まだ、CDに取っておこうなどとは思いもしなかった。

プロに相談しているが、ソフトの購入が必要とのこと。しばし暗闇の合掌。

 

コンピューターはやはり難しい。教わったことを越えると何が何やら全く分からない今は、何とも空恐ろしい気持ちになっている。

本の整理や器物の整理で、捨てなければならないと思いつつ、モノへの愛着が人生のすべてのようなところがあるので、一向に進まない。時間はどんどん経つ。本当に恐ろしい気持ちがこういうコンピューター騒動で倍加する。

 

発明協会にて At the Association of Invention & Innovation (AII)

本日、(公社)発明協会の専門委員、及び関係者30人ほどによる審査会。

10時から夕方6時半まで、釘付けの一日。だいぶ疲れたが、実は、話題にしたい大きな「事件」があった。

ただ、その内容は、近日、朝日、毎日などの新聞で報道されるまで、内密にして貰いたいとの事務局からの指示。だから今は言えない。

それでも当方は、意匠部会長として頑張った意味があるような内容である。近日の内に、本件の実情を紹介したい。

Today was the day of selection of the award of AII,. I had something new information unbelievable. But secretary office asked us not to reveal for the moment.  Soon after the news paper breaks, I'll explain of this news.

 

「ル・コルビジェ」展をみて At the exhibition of "Le Corbusier"

何が展示されているかは最初から知っている、つもりだった。

最近の、出かける展覧会には、そんな気持ちの場合が多い。見に行くのは「再確認であり、出来れば少しは何か発見があるかも」という程度の期待である。

「アルバ・アアルト」もそうだった。実際、「すべて判っているよ」という身勝手な気持ちで会場を後にしている。

コルビジェに至っては、もっと知っているつもりだったから腰が重かった。

それでも、特にオザンファンと共同で「ピュリズム」を立ち上げた辺りに焦点を当てた企画は、なかなか大人びていると思い感心して観察した。

でも自分が評論家ではなく、作家である以上、同時代気分でいるわけにはいかない。あの時点では、あれで良かった。今の自分なら何をすべきなのか。その事ばかり考えて会場を廻っていたのも事実だった。

展示記述のなかに、彼が「毎日午前中は、デッサンに時間を割いていた」というのがあり、建築家にならずとも、何とかピカソなどの「キュビズム」を越えようと模索していた画家の生活を思い出され、自分との比較になった。

 

今、自分は何もしていない。絵も描いていない。それは「芸術の終焉」という自覚した命題に沿って生きている以上、何もやらなかくていいからだ。

その一方で、このような「展示による効果」があるならば、やはり作品を創るべきだとの不安定な心もよぎる。

表現したいものがあるとしても、それはコルがやっていたような瓶や楽器の組み合わせ造形ではない。しかし形にならない表現イメージを想定したら、コスト、必要な空間、無駄にならないような企画内容で総合しようとすると、やるべきことが思いつかない。創造は習慣である、とも言う。もっともであるが、それを強制感でやるなら、無意味な活動であると思えてならない。

 

Visiting this exhibition, I thought "I know almost of him", but it was something new project intended to clear Corbisier's young age connected with Ozenfant to clear the age of "Purism".

I was hesitated seeing these works, because these are surely works of this days but it not teachs for my work of today.

 

 

 

 

 

 

新元号の予想について About my idea for a new era.

新しい元号が発表されるぎりぎりの時間だが、自分の思いついた元号案を書いておこう。「立明」である。ただいま、4月1日の9時30分。

調べて深く考えたわけではないが、しばらく前から気になっていて、時々、出てきたのがこの元号案。家内にも何度か「あなたの案は?」と言われたので意識するようになった。一応、賭けてみよう。

I thout my idea for a new era of Japan.  It is "Ritumei". Try betting before 1 hour and a half of publishing time.

 

現在、午後1時を過ぎて記載。元号は「令和」となった。頭文字の「R」だけ当たった。万葉集の句にある「新春の令月にして、気淑く風和ぎ」から取ったとのこと。意外だったが、「令」には、「よし」と読むように「善」という意味もあるようだ。「和」には、「昭和」を連想させるものがある。

After 1 o'clock of after noon now. New name was decided as "Reiwa". Only " R"is hit.

Rei" contains meening of  " joyous","orders".and  "wa" is "harmony" ,"peace"," unty" etc.

 

深夜過ぎて、一日のこだわりが終わってみると、少し粛然とする。

「令和」がいい時代になってほしいものだ。