若い世代に教わる

フェイスブックを検索していたら、講義をオンラインで流す記録が出てきた。ちょうど以前から知っていた(面識があるということでなく)自称アート・サイエンティストとでも言うのか、スプト二子という芸名(?)の人が出てきたので、何となく自宅講義を聞き始めた。ちょっとのつもりが、オンライン講義というのものと、その話が以外に面白く、とうとう45分位か、見てしまった。いつの間にか、我が母校の東京芸大の准教授になっていた、ということもある。

若い世代の教師が20~25位までの学生レベルに講義する、というのを聞くチャンスも今ではほとんどないわけだから、時代認識という意味でも参考になった。

外国生活が教えてくれた、日本人のよく判らない所についての体験的な発言が面白かった。やはり、自分、言い換えれば主体の発見が問題視されていた。最近、卵子を保存する会社を立ち上げたということでも、若い世代だな、時代は変わりつつある、という実感をもらった。

このままでは芸術の荒廃は避けられない

確かに、このままでは芸術の荒廃は避けられない。

これは最近の日経新聞に出た、同様主旨(日付とタイトルは以下に)の記事への意見送信記録である。執筆者は公知されている(舞台芸能文化担当)が、特に了解を得ていないので、ここでは名前は入れない。

 

 

貴紙、5月3日の「どうする『新型コロナ後』の文化振興策」を読ませて頂きました。

舞台芸術中心の話で終るのかと思っていましたが、より芸術文化の本質に関わる記事で、共感のエールを送らせて頂きます。個別の「イベント助成」でなく、組織としての「団体助成」や、改めて「税金を投入すべき芸術とは何かを問うべきだ」も全く同感で、良く言ってもらえたと思います。

その上で、今回のパンデミックで、「三密になるイベント(舞台芸術など)が食べられなくなる」ことは、誰でも直ぐに理解できたでしょうが、これを機に日本人全体に存在する芸術に対する史観や価値認識にまでたどり着けるかどうかは大いに悲観的です。そのことを伝えます。

税金投入の必要性の本質は、既存の文化組織に人が来ないから、ペイしないからだけではなく、日本社会に考慮が欠けている面を補うためもある、ということです。その意味で、「日本の文化助成の仕組みを、ゼロベースで構築し直してはどうか」という指摘には大いに同感ですが、まず何より「何が芸術なのか」について、「こういうことだ」という行政や民間の先入観があまりにも大きすぎるのです。それは次のようなことが、それを妨げて来ているように思えます。

  • 文化を伴わない経済最優先の価値観や史観が、この国の主導者、或いは経済人、更には少なからぬメディア人たちにまでしっかり蔓延してしまったこと。
  • その背景を遡れば、明治維新での輸入知見(科学、医学、経済、統治形態など)を価値評価し、その上意下達を浸透させ、大衆が直接影響される舞台芸能や伝統芸能などをある程度認知する以外、見えにくい民間の自助努力による文化芸術とその認識を、税金投入を含め公的に育てなかったこと。科学と経済以外の、例えば国力への効果の読めない人文知のような社会評価を軽視したことと一体だろう。
  • 芸術は個人をベースとするのが基本とすれば一般に社会性が低く組織化が難しく、「団体助成」にまで届かないケースが多いだろうこと。又これをいいことに、個人を評価することにためらう行政は、何の努力もしなくなること。更に一端、スターダムに乗ったり文化的な公職を得た芸術関係者は、その落差を知るだけに保身に走るだろうこと。つまり芸術家の側から組織化は難しい。
  • 公知しやすい価値観、例えば、数値に現わしやすい評価や、「安全」「公平」などの標榜を掲げ、自身に責任が掛からないように、そのためばかりに長年勤めてきた行政の仕組や法規制がもたらす問題。
  • 21世紀に於いて、これまで続いてきた芸術観は解体したと言えそうなこと。新しい芸術観はまだ生まれていない。特に欧米文化を吸収した上に、古来の日本文化を混成させて出来る新しい文化は日本に期待されていると考えるべきだ。

 

こう書いてくると分析が抽象的で無力感の上塗りのようですが、輸入文化の調整に追われるだけで来た文系学者や公職関係者、或いは芸術の本質を考えることも無く育てられた多くの国民には、現代芸術とは何か、美的感性とは何か、そのあるべき姿などが真剣に議題になったような気配は感じません。こうなると、これは新型コロナが発生したから起ったような問題ではなく、それ以前からある日本の問題です。

「ヒットが期待できる芸術」「社会に問題提起する芸術」「地域社会に役立つ芸術」などのように、対象となる芸術のイメージはいくらあっても良いですが、「税金を投入することを決定する」組織なりシステムなり人材なりが、上記のような国内事情を把握できた民間組織の主導で出来上がらねば水の泡です。

舞台芸術を含め、多面性を持つすべての芸術の本来的な視座を求めれば、私たちの関わるようなデザイン、建築、都市景観のような分野まで含まれてきます。

ご参考までに、共感を得られそうな文面で最近、建築家協会の仲間内に送った記事がありますので、それを同封します。お分かりのように、ここにあるのは建築家のみの問題ではなく舞台美術家も、ある種の画家なども含め、広範に視覚・触覚・体感系感性を「見える化」するクリエイター全体に関わる問題です。多分、「アーツカウンシル」なら読み込んでいると思われることです。

 

ネガティブな状況ばかり解説していても意味が無く、今後とも発信は続けていきますが、日本の近代史に潜む大問題だけに、世に問うための「出口戦法」でもあれば、またご紹介下されば幸いです。