現代は作家と理論家の個人共有は難しい 20220804

時代が余りにも急激に変化しつつある。

一方、伸びたと言っても個人の生命は100年に届くかかどうか。

技術やルールの判っている分野では、個人の修練を加えて、時代を切り開くことも可能だろうが、知識の積み上げと再評価、それとは別の表現技術との統合に向けては、一代での完成はとても無理な時代となった。

そこには、それでこそAIを活かす時代だ、という科学者も多いだろうが、個人の在り様としてはそれほどスマートなものではない。

言い逃れの様だが、実感である。

背景には時代に付いてこない社会のルール、そこには積み上げられた法規制のようなものまで関わるし、保護育成するべき経済活動への対応の遅れも関係する。当然、何度も言ってきたと思うが、経済優先、文化軽視の体質も関わっている。

歴史認識を踏まえての統合化、全体知化が社会認識の中核にならないと、現代のレオナルド・ダヴィンチを生み出すことは難しい。