多知能力の総合化の時代へ

 

—感性だけで育った逸材をどう救うか―20220429

 

明治維新から3年後(1871)に岩倉具視を団長に107人が欧米視察に出かけ、約2年掛けている。大久保が仕組んだ「旅団」だったのだが、その心情を察するほど、よく実行したと思わずにはいられない。

これがあったから、日本は変な尊王攘夷に取り込まれ、外国と戦うような馬鹿行為からこの時期だけでも抜け出せたのに違いない。

その10年後の1880~81頃、もう山本芳翠がパリで、百武兼行がローマで裸婦を描いていたとは驚きだ。

維新後に、直感的に日本を飛び出そうとした若者が少なからず居たらしいということは、この二人の足跡を見ても想像がつく。

 

それで思い出すのが、僕の在伊中、多分、滞在許可を取るために1年ほど帰国していた年があったが、その時だろうか、アパートを貸していたと思われる日本人の若い画家がいた。

戻ってみると、部屋に大きなキャンバスに描いた絵が立てかけてあり、それがすごく良かった。

それは、既存のキャンバスに油絵具で描く、形式としては何の新しさも無かったが、今でも脳裏に焼き付いている。

「いい絵だね」とほめたとは思うが、彼に居座られては困るという心理の方が優勢で、移転先も名前も聞き忘れた。

今、彼はどうしているのだろう。

今となっては、何の記録も残した記憶もない自分のだらしなさが無念だ。大した事は出来ないが、著名画廊に紹介するとか、ネットで紹介するとか、少しの協力は出来ただろうに。

 

もっと深い問題に、これまで、芸術に命を捧げると覚悟したと思われる若者を何人か見てきて思うことがある。彼らはそれほど純粋なほど、日常生活、特に経済とのかかわりが滅茶滅茶な場合が多い、ということだ。それは特に、東京藝大卒というレッテルを張られた若者に多そうだとは、この大学名を冠した著書などから感じられる。何のことはない。自分がもしかしたら彼らと同じ運命で、ヨーロッパを彷徨よって終わる人生になっていたかもしれないのだ。

だから、それは個人の能力の問題だろうという見方も分らないではない。「甘えるな」という立場もあろう。

更には、近代の芸術至上主義はもうとっくに終わっているのに、何やっているんだ、という視点もあるかもしれない。

それらを承知で言うのだが、自分が耐えてきた人生を振り返っても、個人だけの努力ではどうにもならない運命と、それだけに、それを承知で救う手立てがあってもいいはずという気持ちが消え去らない。

 

「芸術は不滅だ」という気はない。ただ、今の時代、社会が激変して、産業構造も大きく変わっていいと思われる時になってみると、これまでの職業観が、この時代になっても基本的には近代以降の積み上げの上に論じられているのでは、と思われること。このために「芸術家では食えない」という最初からの切り捨てが生きたままだ。

一方で、「すべての人を救う」、「職能分化を越えて、多知能力の総合化が求められている」というような発言や主張は、日々見られる。IT技術の劇的な進歩により、情報化時代を遥かに上塗りするようなネット社会に至り、よく見れば、これまでの歴史的な人知をすべて検証の上、社会構造を再編してもよい時代が到来しつつあると言えるのではないか。

 

そうなれば法律も何も、すべて全く新しく作り直した方がいい。経験をベースにした情報の蓄積も極大化した今は、そのチャンスである、という気持ちなのである。

そうすると、純粋なあの頃の若者のような立場も、救済の視野に入ってくるような気がするのだ。