現代アートの未来

 1月5日の朝日新聞夕刊に、最近、東京の森美術館館長となった片岡真実さんを訪ねて聞く、という記事があり、それへの感想を送ったので転載する。

新聞記事のコピーは載せないが、感想でほぼわかると思う。

 

朝日新聞東京本社 文化くらし報道部・美術ご担当者様      Fax送信: 03-5541-8611 2021/1/11

 

 現代アートの未来  

「今を生き抜く人の姿 伝える使命」(朝日新聞2021年1月5日夕刊「彩る」)への意見

 

  新型コロナの襲来を経て、資本主義の行き詰まりに至るまで、人類はその弱みを見せつけられました。まさに歴史の転換点に掛かっていると言えそうです。

怯えて何も出来なくなるこの社会とは何だったのかとか、改めて「人間て何なの?」という根本的な問いかけの前に、現代アートも立ち止まらせられたようです。そこには「そもそも現代アートの存在意味とは何か」という疑問も出て来るかも知れません。

見えるものを記録する絵画が写真の登場以来、主役を奪われ、表現上の主観の追及や展開がアートを拡散させました。これが経済の発展に組み込まれ現代に至っていますが、アーチストになりたいという供給者が居て経済が周っている以上、需要を見つけなければならない。しかしそこには人間本来の生きるための欲望充足の必要度は、どの位感じられるのか。現代はそこまで暴かれてしまっていると言えるでしょう。

しかし現代アートが、それでも必要だと認識するには、出来れば人間に生きる希望や夢を与えてくれるか、少なくとも人間存在の根本に気づきを与えてくれる事が必要です。まさにタイトルにある「今を生き抜く人の姿 伝える使命」ということです。

片岡森美術館々長の仰るように、「大量動員型のビジネスモデル」が問題化する一方、世界の美術界における日本の窓口としての役割や、それを意識しての地域性の掘り下げ、民族的な評価尺度に大きな差のある世界状況の縮図としての現状把握は、美術館の日常業務として進めることは確かに必要でしょう。それでも、何より「生きることが大変な時代に、その根源を問うような作品」に出会う時の感動を大切にしていることの重要性は感じられます。

気づきを与えてくれるには、更には資本主義への問いかけの前に、わが国の経済人などの低い美的関心も引き寄せるためには、次のような広範な追確認も必要だと思われます。それは三つ位あるように思います。

一つは「人類史、現代史への喚起」、次に「生物としての人間への自覚」、三つ目に「サイエンスへの突き詰め」ということでしょうか。

「人類史への喚起」とは、あり得ないような極端なイメージ例を挙げれば、クフ王のピラミッドの礎石の一つを借りてきて展示するというようなことです。「現代史」の方では、この100年余を、手法、分野、対象、社会要因などを包括する大きな視点から個人の作家で流れを見て、歴史の急変と価値観の大転換を学ぶこと。そこにはモノとしての作品主義からの離脱、逆にコロナが教えた「見えるものへの執着」という課題も含まれていると思われます。

そこからも、「生物としての人間への自覚」が、どんどん脳内人間になって行くことの反省材料としての気づきの設定へ向かうでしょう。

リウファンの砂利道の話もありましたが、例えば砂利石の緩い小山を造って、頂きに鳥居でも設置、それを潜り抜けるようにする。滑ってなかなかたどり着けないように出来れば面白い、とか。他には、展示室の入口で靴を脱ぎ、各所で温度の変わる「足湯」の回廊か池を散策するという表現。あちこちにくつろぎの場があり、部分的に水になるのもいいなど。また、敢えて「三密」状態で四畳半に集う昭和初期の家族などを原寸大の立体造形にすれば、懐かしみが観客を誘うかも。

炭素化社会への危機感を含め、ここまで文明の転換点に差し掛かってくると、何らかの未来が描けないかという気持ちも強まります。

でもアートがモノ、空間、イメージに囚われている以上、新素材や製造技術という科学技術の分野にまで入っていくには科学者のメンタルが必要。三つ目の「サイエンスへの突き詰め」とは、これも気にしていることからの思い付きで言えば、将来、月世界や火星での生活が余儀なくされるような時代を考えると、暗闇の世界ではたまらない、青空が欲しい。かと言って今の我々には何も出来ない。でも科学技術信仰の一辺倒にはブレーキも掛けたい、とすると、現代アートが現世に留まらざるを得ないのは仕方がないのかも知れません。せいぜい発電用の新素材「ペロブスカイト」を塗布した避難用のオリジナルなテントや、同材で生活もできる大洪水を生き抜く救命ボートでも作る、ウエアや傘で夜道を明るくして歩く、というようなことでしょうか。

いずれにしても、格差が生んだ気の緩んだ金銭価値への信奉が、アートの「虚飾」を煽っているのかも知れない現実を越えて、美術館もアーティストも経済効果に突き動かされ、目先の表現・演出効果ばかりに頼るのでなく、人の心に刺さり、美しく明るい未来への予感も含む社会と文化の引導役であってほしいと願っています。その観点から、美術館関係の皆様の努力に期待しています。