はてなダイアリーとの共有

すでにどこかで述べたが、このブログとダイアリーの使い分けが解らない。

このため、両方に時々の思いを書いているが明確な区別はない。もともとはてなブログのシステム変更を求められた際に、修正したら、この二つになったのだ。

いずれにしても、この2つの「ブログ」は続けていく。気が付いたのだが、誰も読まなくても思いを記録しておくことは、アナログな「日記」と同じだと納得したからだ。

 

一昨日か(2022/1/22)、江戸時代から維持されてきた京都の蔵が最近、ようやく学術整理されはじめ、身近な自然現象から世界を読み解く術が「図書館」のような形で、広がっていたことが判ってきた。欧米の知識や科学に圧倒され、消えかけていた文化的資料が光を浴び始めたのだ。その時の膨大な記録や資料に圧倒される。歴史にかかわる資料を残す意味を再確認。