百年目の「意匠」選定

この前のブログでも紹介したが、上記テーマのような出来事があった。

このことを大手有力紙に掲載してもらえるかと、原稿を送ったが採用されなかった。

以下はその没原稿である。

 

 

百年目の「意匠」選定

 

                                  大倉冨美雄

 

イギリスで走り出す日本の車両

日本の美しい高速鉄道車両がイングランドの野原や街を走り抜ける。それだけでも心が躍る。

この五月十五日から英国の鉄道で最新の「AZUMA(アズマ)」が営業運転を始めた。

 

鉄道は走れば辺りの景観を変え、地域のインフラにまで影響を与える。それだけに社会効果も大きいが、蒸気機関車発祥の国への他国からの、しかも日本の車両メーカーとして初めての欧州向け鉄道車両の参入となれば、その売り込みだけでも長期の粘り強い努力が要る。また現地の法制度や歴史、既存の軌道を使う場合の制約など難題も多い。

例えば日本の新幹線と違い、完全立ち入り禁止軌道でないため、車両先端に衝突の危険を和らげる装置や、接近する列車の視認性を高めるため、1㎡以上の黄色い先端表示面が求められたりするし、運転席からの視界確保にも厳しい要求がある。電化されていない区間もある。それを日立製作所の人たちが突破した。

これは結果的に全社的な成果だろうが、その具体物である車両のデザインが、この度令和元年度全国発明表彰(主催:(公社)発明協会)で「意匠」としては、実に表彰創設百年目にして最高賞である恩賜発明賞に選定され、デザイナーなどの名前も公表された。「英国の社会インフラとなった高速鉄道車両(Class800)システムの意匠」である。

 

歴史が示す言葉の意味変遷

ここでは何ということなく「デザイン」と言っているが、本賞では「意匠」としている。また個人的にも、「発明」ともなれば「意匠」は添え物かも、との感もあったが、今回の件はそれを越えて、時代的な意味で画期的な英断であり、ある程度事情を知っている者として、少し状況を述べておきたい。

私が意匠部会長として選考に関わってしばらく経つが、全国発明表彰が創設された大正八年(1919年)から考えれば、当初、発明とは「電気」「機械」「化学」という専門分野のことだったのでは、との想像がつく。これに「意匠」、更に「21世紀発明賞」が加わり現在に至っているが、なぜ「意匠」が「発明」なのかも含めて議論の余地を感じてきた。そもそも「発明」という言葉が懐かしい。

発明協会によると「発明」はインべンション、あるいはイノベーションであるから当然、新しいことを提案する「意匠」も含まれるということだった。それにしても電気、機械、化学分野が求める発明とは、科学的分析による合理性の頂点を意味するだろうが、意匠のベースは感性価値である。更に、前者の分類でも、その枠を越えていかないとこれまで通りの技術の分化に向かいやすいし、後者も、比較的自由に総合に向かいやすいとは言え、定性的な価値評価は簡単ではなく拡散しやすい。「発明」の内容は複雑多岐である。

 

「デザイン」の真意に至る

一方、「まだ『意匠』なんて言っているのか」とも言われそうだが、今ではこれを「デザイン」と言い換えられても疑う人は少ないだろう。でもそうなると、「デザイン」が計画の意味を持つだけに、色、形を越えて社会インフラにまで至るとするまでは、まだ新たな理解が必要かもしれない。それだけに、一般には繋がりにくいような事例を百年目にして繋げたことの意味は大きい。

今度の選定はそういう意味でも、ここで言う「意匠」が何を意味するかを具体的に伝える格好の機会になった。

そこにはハード(色、形、素材、機能、品質など)とソフト(エコ環境設定、地域特性、経済事情、時代性など)の組み合わせが控えており、それらをうまく繋げることも「意匠」、あるいは「デザイン」だということが示されている。しかし更にそれを、感性がベースであることから個人能力として経済評価の対象にするには、より日本社会としての認知力向上が必要であり、AI時代のあり方にも影響するだろう。

 

今回の成果は選考委員長を始め選定関係者の理解があってのことだが、加えて、「意匠」として応募した日立製作所の関係者の理解もあってのことは明らかで、ここに、言葉に惑わされずに時代の最先端技術と歴史的要求を飲み込める社会力の成長を見ることが出来た。「これでおしまい」とならずに、「意匠」の本質に目覚めた経営者層や関係者の一層の応募と応援を期待したい。六月十日には都内で表彰式が行われる。(NPO日本デザイン協会理事長、元日本インダストリアル・デザイナー協会理事長、建築家)