知人の電話雑談から教わる

ベンツの社長は自分でベンツを運転して出社するという話から、日本では企業のトップから末端まで「サラリーマン化」している傾向に展開した。エーリッヒ・フロムの名前も、もう何十年も聞いていなかったが、今日電話で、話したいと言ってきた知人の治田さんの言葉で思い出した。彼は浦和高校時代に友達から「愛すること」という一書を紹介されて読んだとのことで、その話になった。

いい時に、いい本を読んでいた治田さんは、その人生をその本のまま生かしてきたのではないかという気にさせられた。実に適切に、僕の現状を言い当ててくれてうれしいと共に、おおいに参考になった。思い当たるのは例えば、こちらが美大出だけに、内に籠る(こもる)性格に傾きやすいことで、それがメディア人種などとの社交の拡大を阻んでいるということ。考えさせられる。

残す仕事は、50年から100年後を見通して今の時代を総観し、言葉に託す、作品に残す、行動記録に残すというような総合化であってよい、という後押しを貰ったが、人を褒めるのが本当に上手。その発信の仕方について話しているうちに、フロムが出てきたし、友人、知人の経験談が出てきて、改めて教わることが多かった。

近況について

今は社会の激変期にある。その証拠にというか、この年になって学ばねばならぬことが山積みだ。でもここしばらく、知識欲には注意が必要だと実感し始めた。

知ることは悪いことではないが何も生まない。一方、人生百年時代は実感できるが、かと言って残された時間はそんなにないのだ。それに高齢化に従って体力の衰えから、なんでもできるわけではなくなった。加えて次の準備、つまり自分や妻が歩けなくなったら、互いに認知症になったら、どう住むのか、というような問題が迫っている。

やるべきことをやるとなると、知識の習得ではなくなる。今はそれに追い詰められだしたのだ。

松方の百年

簡単に区切れば、1850~1950の100年間は、近代絵画の興隆期であった。

こう区切ったのが、この9月23日まで国立西洋美術館で行われた「松方コレクション展」の元祖、松方幸次郎の生誕が1866、没年が1950だったことにも掛けられると感じたからでもある。もっともコレクション作品は1870~1920年代が中心だが。

実に多くの画家がいた、それも画才があると読めるが、知られていない。改めてカタログを見ている。これは松方が、作家名に囚われず、気に入った絵を買い集めたからだろう。印象派を頂点とする絵画がまだ、疑いも無く画家たちのキャンバス(という作画平面)に留まっていられた時代だった。

 

「百年目の意匠選定」の原稿が活かされた

ダイアリーの方でも掲載したが、この前のブログ記事に載せた原稿が、以下のように生かされて、日経新聞電子版に掲載された。

 

 

日立の英高速鉄道、デザインに発明賞

文化往来
2019/8/1 6:00
 

英ロンドン・ノース・イースタン鉄道が運行する高速鉄道で5月、日立製作所の新型車両「AZUMA」が走り始めた。最高時速約200キロで、電化していない区間ディーゼルで走る。この車両を含む日立の「英国の社会インフラとなった高速鉄道車両システムの意匠」が、発明協会(東京・港)の2019年度全国発明表彰の最高賞である恩賜発明賞に選ばれた。

 

英国の高速鉄道を走り始めたAZUMA(日立製作所提供)

英国の高速鉄道を走り始めたAZUMA日立製作所提供)

表彰制度の創設100周年で、デザインが「発明」として最高賞に選ばれたのは初めて。選考委員会の意匠部会長の大倉冨美雄氏は「多くの制約のなかで車両の色や形を美しく仕上げるという狭義のデザインだけでなく、地域特性や環境などに配慮する広義のデザインによって英国社会に受け入れられた」と評価した。

英国では日本の新幹線と異なり、高速鉄道にも踏切や急カーブがある。運転席の視界の確保や衝突時に運転士を守る機能などさまざまな規格が設けられているが、部品の小型化や設置角度の工夫によって流線形でなめらかな外観を実現した。

さらに現地工場での生産性やメンテナンス性を高め、社会インフラとして英国の生活や文化に溶け込ませたという。大倉氏は「時代の構造変化に合わせ、デザインに求められることも大きく変わっている」と話している。

日立は2012年に英政府と契約を結び、17年10月にまずロンドンと西部ウェールズを結ぶ約300キロで高速鉄道の車両の供用を開始。今年、東海岸を北部スコットランドに向かう路線にAZUMAを投入した。

発明協会公益社団法人で、1904年に工業所有権保護協会として設立され、発明の奨励や知的財産制度の普及に取り組んでいる。歴代会長を松下幸之助氏や豊田章一郎氏が務めた。

(山川公生)100 nennmeno nennmen

百年目の「意匠」選定

この前のブログでも紹介したが、上記テーマのような出来事があった。

このことを大手有力紙に掲載してもらえるかと、原稿を送ったが採用されなかった。

以下はその没原稿である。

 

 

百年目の「意匠」選定

 

                                  大倉冨美雄

 

イギリスで走り出す日本の車両

日本の美しい高速鉄道車両がイングランドの野原や街を走り抜ける。それだけでも心が躍る。

この五月十五日から英国の鉄道で最新の「AZUMA(アズマ)」が営業運転を始めた。

 

鉄道は走れば辺りの景観を変え、地域のインフラにまで影響を与える。それだけに社会効果も大きいが、蒸気機関車発祥の国への他国からの、しかも日本の車両メーカーとして初めての欧州向け鉄道車両の参入となれば、その売り込みだけでも長期の粘り強い努力が要る。また現地の法制度や歴史、既存の軌道を使う場合の制約など難題も多い。

例えば日本の新幹線と違い、完全立ち入り禁止軌道でないため、車両先端に衝突の危険を和らげる装置や、接近する列車の視認性を高めるため、1㎡以上の黄色い先端表示面が求められたりするし、運転席からの視界確保にも厳しい要求がある。電化されていない区間もある。それを日立製作所の人たちが突破した。

これは結果的に全社的な成果だろうが、その具体物である車両のデザインが、この度令和元年度全国発明表彰(主催:(公社)発明協会)で「意匠」としては、実に表彰創設百年目にして最高賞である恩賜発明賞に選定され、デザイナーなどの名前も公表された。「英国の社会インフラとなった高速鉄道車両(Class800)システムの意匠」である。

 

歴史が示す言葉の意味変遷

ここでは何ということなく「デザイン」と言っているが、本賞では「意匠」としている。また個人的にも、「発明」ともなれば「意匠」は添え物かも、との感もあったが、今回の件はそれを越えて、時代的な意味で画期的な英断であり、ある程度事情を知っている者として、少し状況を述べておきたい。

私が意匠部会長として選考に関わってしばらく経つが、全国発明表彰が創設された大正八年(1919年)から考えれば、当初、発明とは「電気」「機械」「化学」という専門分野のことだったのでは、との想像がつく。これに「意匠」、更に「21世紀発明賞」が加わり現在に至っているが、なぜ「意匠」が「発明」なのかも含めて議論の余地を感じてきた。そもそも「発明」という言葉が懐かしい。

発明協会によると「発明」はインべンション、あるいはイノベーションであるから当然、新しいことを提案する「意匠」も含まれるということだった。それにしても電気、機械、化学分野が求める発明とは、科学的分析による合理性の頂点を意味するだろうが、意匠のベースは感性価値である。更に、前者の分類でも、その枠を越えていかないとこれまで通りの技術の分化に向かいやすいし、後者も、比較的自由に総合に向かいやすいとは言え、定性的な価値評価は簡単ではなく拡散しやすい。「発明」の内容は複雑多岐である。

 

「デザイン」の真意に至る

一方、「まだ『意匠』なんて言っているのか」とも言われそうだが、今ではこれを「デザイン」と言い換えられても疑う人は少ないだろう。でもそうなると、「デザイン」が計画の意味を持つだけに、色、形を越えて社会インフラにまで至るとするまでは、まだ新たな理解が必要かもしれない。それだけに、一般には繋がりにくいような事例を百年目にして繋げたことの意味は大きい。

今度の選定はそういう意味でも、ここで言う「意匠」が何を意味するかを具体的に伝える格好の機会になった。

そこにはハード(色、形、素材、機能、品質など)とソフト(エコ環境設定、地域特性、経済事情、時代性など)の組み合わせが控えており、それらをうまく繋げることも「意匠」、あるいは「デザイン」だということが示されている。しかし更にそれを、感性がベースであることから個人能力として経済評価の対象にするには、より日本社会としての認知力向上が必要であり、AI時代のあり方にも影響するだろう。

 

今回の成果は選考委員長を始め選定関係者の理解があってのことだが、加えて、「意匠」として応募した日立製作所の関係者の理解もあってのことは明らかで、ここに、言葉に惑わされずに時代の最先端技術と歴史的要求を飲み込める社会力の成長を見ることが出来た。「これでおしまい」とならずに、「意匠」の本質に目覚めた経営者層や関係者の一層の応募と応援を期待したい。六月十日には都内で表彰式が行われる。(NPO日本デザイン協会理事長、元日本インダストリアル・デザイナー協会理事長、建築家)