3年、3年で考えた近6年

事務所整理が進まない。

2013/6~16/3までのプリント写真が出てきて、あまりの時間経過の速さに改めて驚き、考えさせられる。それにしても、やはりデジタル・データよりプリントだ。一瞬の視覚的な説得力が違う。

この間の約3年間に一山あった。後で気が付くと、意識の底辺で気遣っていた義母の死を頂点に、家内の実家との縁が完全に切れた。また、3年目の終りに「クリエイティブ〔アーツ〕コア」を出版して、これも一山越えか。

すると、次の2017~19までの3年間は何だったのか。記憶では(プリント写真を見ていないからか?)、何もしないで終わってしまったようにも思える。

でも、静観と転換努力への3年だったようにも思える。大京町の家(家内の実家宅)の売却と、小田原の親の家の売却。それに孫の誕生だ。特に実家の売却は、捨てられないものを棄てる辛さから、言葉にならない精神的抑圧を植え付けられたようにも思う。

でも、夜半の日常ゴミ出しから帰りつつ思った。

対社会的に何も成果が上がっていないようだが、よく考えれば、表面的な時々の話題や知名度が問題なのではなく、長い歴史の中でのアンガージュマン(歴史への関りと自己拘束)こそが大切なのだ、と改めて自負している。その際に、出来るだけ「関わる作品」が必要なのは判っているが。もう一つ。家内はそんな、見える成果のない俺の考えが気にくわなさそうだが。

(「個人データ」に部分転用)