2001年のスペルリンガ(シチリア)

驚いたね。こんないい画像と編集の地域観光ガイドが、19年も前に創られいたとは。知らぬが仏かも知れないが、シチリアをこんなに美しく撮った番組があったのだ(NHKプレミアム・カフェ2020/6/15再映)。シラク―ザ、パレルモの街並み、そして中部の山岳にある小さい町スペルリンガでの中世を模した結婚式を紹介。タイトルは「空と石の祝祭」。何と6章まであり、2時間くらいか。

ミラノに10年近くも居ながら、シチリアには行ったことがなかった。勤務先のバルトリ建築事務所には、カターニャから来て住宅設計の相談を受けていたクライアントもいたというのに! 「そのうち行けるさ」という安易な気持ちだったのは確かだ。1960/70年代は、資料として溜めておける観光情報が少なく「イタリアに行く」というだけでもかなり冒険。シチリアなどは意識に無かったのだ。

しつこいけれど、もう一度言いたい。「灯台もと暗し」という格言はこの場合、全くぴったり当てはまる。あの、仕事と生活に追われていた日々。日々の生活は疎ましい。行きたいし、行くならアラビアの方の石油王国か。遠くはない。シチリアなんて、たいしたところではない……そういう気持ちだった。

 

さて、番組は失恋した若い日本の女(石田ゆり子)が傷心の中、かって太宰治の「走れメロス」を読んで感激し、その舞台となっていたので行きたいと思っていたシラク―ザを訪ねるという設定で、その後、パレルモに居る間に日本の友人からスペルリンガという町での結婚式を紹介された、という流れである。

シラク―ザでは、海に面した小島部分の狭い石造りの街路を、昼下がりに彼女が当てもなく歩くシーンが美しい。誰にも会わない。外敵に攻められた時に逃げ回れるように造られた、人間の本能が生み出した空間造形だ。

それからパレルモでは、この街に住んでいた日本人女性がいると、教会の建物を見せつつ紹介。ここに、その女性の描いた絵が掲げられているからだ。

「昔の日本人? 誰だろう?」と思ったら〔ラグーザ・お玉〕だった。これもびっくり。

ヴィンチェンツォ・ラグーザが1870年代、工部大学校(現在は分離して東京芸大)で絵画を教えていて、その教え子の清原玉女と結婚、彼女を連れて帰ったのは知っていたが。何と、そこは昔栄えた地中海の島、シチリアパレルモだった。それも維新も間もなくの明治15年(1882年)のこと。お玉は、こんなに遠く異質な土地に嫁いで何を感じていたのだろう。

お玉は、50年余りをこのパレルモで過ごしていた(夫を亡くし1933年に帰国)。今でも前述のとおり、地域の教会や役所、親族の家に彼女の絵が掛けられている。こういうことも判っていれば、もっと行く気がしただろうに。映像はこういう立ち寄りもしている。

 

続いての、聞いたこともない岩山の町スペルリンガでの、ある若者たちの結婚式の記録は、この映像のための「やらせ」ではないかと思うほどよくできている。旅する孤独な彼女は、結婚式の進行役から参加を求められたり、形の定まらない石段を昇り降りしたり、遠景からの岩山を眺めながら、結婚式の日まで滞在する。新郎もどこか痩せたキリストみたいで中世の服が似合うし、新婦も若く美女だ。

当日はこの町にこんなに人が居たのかというほどの大賑わいで、近くの村から来てくれた素人楽団の音色に合わせて、1時間ほどかけて岩山の頂にある教会まで行進する。教会の天井は高いが狭く、全員立ち放し。夕暮れ時からはワインに漬けて食べる地元づくりの変形ビスケットで盛り上がる。夜空には彗星のような白一色だけの花火が交差する。

これだけ時間を掛けてシチリアの町を歩くと、行かなかった残念さと共に、行かなくても感ずる情感がにじみ出てくる。おずおずと語る石田ゆり子も画面に溶け込んでいたし、じっくりと腰を下ろして撮影された、とても良くできた番組だった。

 

 

(記録補記)この番組の後、続けて「世界のトラム」とかいう記録映像だけの番組があり、つい見てしまった。それもローマの街を走る電車からの眺めと、通過する時々のモニュメントの紹介だけ。何せ、こういう形でローマの街を見て回ったことは無い。そのせいか妙に懐かしく、それでいてミラノの街とは又一味違った郷愁感がある。あのトップにだけ緑が生える松や枇榔樹などがちらつく影響もあるのだろうか。ミラノにはない、想定していた南国のけだるさにモダンなトラム。時の過ぎゆくことに何の焦りも感じさせない。見終わったら明け方の4時。外は明るくなっていた。