記録

温度差の激しい日々。今日の日曜日は久しぶりに清々しい。

息子が細君と千寛(ちひろ)を連れて再来宅。5キロになったという。抱いていると、それだけでかわいい。

父の日の花も貰う。

 

夜には、パリのオーランジュ美術館に保管されていた、松方コレクションのうちのモネの睡蓮のほとんど破損した作品のAI補修経過がテレビ公開されていた。

これほど執念を持って睡蓮の大画面に執着してきたモネの心情はよく理解できるが、やはり時代のなせることだったのではないか。情報の多すぎる現在は、モネのように一点に取り組む画家の心理は見え透いている。

それでも一点でも、自分の世界を代弁する「傑作」が残せなければ、クリエイターとしての象徴が無くなるだろうことは実感できる。「モナ・リザ」がそれを証明している。

 

昨日は「みんなの空き家活用とまちづくり」(もうひとつの住まい方推進協議会(AHLA))のセミナーに参加。いい企画だが、もう自分が核になってやることではないとの実感。応援はする。それにしても家内も「もう我が家には空き家の問題は無いでしょ。他にやることがあるはず(気まぐれにやっている絵画教室での絵を個展にするとか、事務所を整理するとか、自分のことを考えろ、ということ)」で口論に。

それでも名刺を交換した人の何人かに文章を添えて、「クリエイティブ[アーツ]コア」のちらしを送ったが空しさは消えない。送るなら、それだけ反応のありそうな人に、一対一の対面で、ちゃんと気持ちの伝わる文章を添えて出なければ意味が無い、という実感は消えなくなっている。

 

自分のやっていることが、自己宣伝のようなら止めた方がいい。

この世に役立つような内容なら、誰でも関心を持つだろう。

自分が「美と知を繋げる」仕事をしてきたのは貧弱な文章ながら、ほぼ表現してきた。これも家内の言葉だが「もう新しいことは言っていない」と。もう一つ。「あなたには文章の才能はない。(絵とか建築作品の方で)自分を表しなさいよ」とも。ある意味では、もっともなことだ。

これからは、ここでの記録は別にして、公知に値するような言葉を選んで、安らいだ気持ちで発信したいと願う。

創造する者としては明らかに転機に来ている。