「再び、レオナルド・ダ・ヴィンチの世界が来る」

令和元年の夜明け、5月1日朝6時。寝苦しい夢を見て、起き出した。

この鬱陶しい夢の話は,身内の争議だから後にしよう。

そこから思い上がり、考えついたのが上記のタイトル。つまり次に書くべき本、すなわち考えの表題だ。

ダ・ヴィンチ」は例え。一般人にも判る言い方として、これほど解りやすい固有名詞は無いだろう。日本人に比較できる人物が思いつかないのが残念だが。

生まれて生きている間、何か表現せずにはいられないのが人間。その人間心理に近いところで表現が可能なのが言葉。しかもポータビリティがいい。その最高なのが短歌や俳句かもしれない。特に自作短歌の紹介番組を見て、改めて短歌への想いが増した。

それに引き換え、美術、特にデザインや建築となると、保存や維持がただ事ではないから、よほど的確な才能が無ければこの地球にゴミを生み出すだけになる。それはモノを残すという考え方からだが、ビジュアルと図面データとして残すことが出来れば後世に再現は可能になる。

その上で大切なのは、芸術の歴史的転換点からの言動であろう。その意味で、今、クリエイティブ系諸職能の統合、その道に沿った生き方の提示は最重要な言動と言うことになる。その解りやすい実例がレオナルドだろうということだ。

シンギュラリティの行きつく先にあること、人間の尊厳に関わる問題がこれだ。そしてこの事こそ、自分が言い残さなければならないことだと自覚した。