恐ろしい情報管理

「恐ろしい情報管理」というと、国際スパイの話かと、思われるかもしれないが、どっこい、個人事務所のワード記録70ページ余りが、あっという間に消えた、という小さい話。

タイトルを私家版と、公開版に分けようといじっていたら、消えた。

江戸末から現在までの公的記録のうち、自分に興味のある、あるいは職能的に関係のある事象をデータ保存し始めて2年ほどになる。まさか消えるとは思っても居ず、まだ、CDに取っておこうなどとは思いもしなかった。

プロに相談しているが、ソフトの購入が必要とのこと。しばし暗闇の合掌。

 

コンピューターはやはり難しい。教わったことを越えると何が何やら全く分からない今は、何とも空恐ろしい気持ちになっている。

本の整理や器物の整理で、捨てなければならないと思いつつ、モノへの愛着が人生のすべてのようなところがあるので、一向に進まない。時間はどんどん経つ。本当に恐ろしい気持ちがこういうコンピューター騒動で倍加する。

 

発明協会にて At the Association of Invention & Innovation (AII)

本日、(公社)発明協会の専門委員、及び関係者30人ほどによる審査会。

10時から夕方6時半まで、釘付けの一日。だいぶ疲れたが、実は、話題にしたい大きな「事件」があった。

ただ、その内容は、近日、朝日、毎日などの新聞で報道されるまで、内密にして貰いたいとの事務局からの指示。だから今は言えない。

それでも当方は、意匠部会長として頑張った意味があるような内容である。近日の内に、本件の実情を紹介したい。

Today was the day of selection of the award of AII,. I had something new information unbelievable. But secretary office asked us not to reveal for the moment.  Soon after the news paper breaks, I'll explain of this news.

 

「ル・コルビジェ」展をみて At the exhibition of "Le Corbusier"

何が展示されているかは最初から知っている、つもりだった。

最近の、出かける展覧会には、そんな気持ちの場合が多い。見に行くのは「再確認であり、出来れば少しは何か発見があるかも」という程度の期待である。

「アルバ・アアルト」もそうだった。実際、「すべて判っているよ」という身勝手な気持ちで会場を後にしている。

コルビジェに至っては、もっと知っているつもりだったから腰が重かった。

それでも、特にオザンファンと共同で「ピュリズム」を立ち上げた辺りに焦点を当てた企画は、なかなか大人びていると思い感心して観察した。

でも自分が評論家ではなく、作家である以上、同時代気分でいるわけにはいかない。あの時点では、あれで良かった。今の自分なら何をすべきなのか。その事ばかり考えて会場を廻っていたのも事実だった。

展示記述のなかに、彼が「毎日午前中は、デッサンに時間を割いていた」というのがあり、建築家にならずとも、何とかピカソなどの「キュビズム」を越えようと模索していた画家の生活を思い出され、自分との比較になった。

 

今、自分は何もしていない。絵も描いていない。それは「芸術の終焉」という自覚した命題に沿って生きている以上、何もやらなかくていいからだ。

その一方で、このような「展示による効果」があるならば、やはり作品を創るべきだとの不安定な心もよぎる。

表現したいものがあるとしても、それはコルがやっていたような瓶や楽器の組み合わせ造形ではない。しかし形にならない表現イメージを想定したら、コスト、必要な空間、無駄にならないような企画内容で総合しようとすると、やるべきことが思いつかない。創造は習慣である、とも言う。もっともであるが、それを強制感でやるなら、無意味な活動であると思えてならない。

 

Visiting this exhibition, I thought "I know almost of him", but it was something new project intended to clear Corbisier's young age connected with Ozenfant to clear the age of "Purism".

I was hesitated seeing these works, because these are surely works of this days but it not teachs for my work of today.

 

 

 

 

 

 

新元号の予想について About my idea for a new era.

新しい元号が発表されるぎりぎりの時間だが、自分の思いついた元号案を書いておこう。「立明」である。ただいま、4月1日の9時30分。

調べて深く考えたわけではないが、しばらく前から気になっていて、時々、出てきたのがこの元号案。家内にも何度か「あなたの案は?」と言われたので意識するようになった。一応、賭けてみよう。

I thout my idea for a new era of Japan.  It is "Ritumei". Try betting before 1 hour and a half of publishing time.

 

現在、午後1時を過ぎて記載。元号は「令和」となった。頭文字の「R」だけ当たった。万葉集の句にある「新春の令月にして、気淑く風和ぎ」から取ったとのこと。意外だったが、「令」には、「よし」と読むように「善」という意味もあるようだ。「和」には、「昭和」を連想させるものがある。

After 1 o'clock of after noon now. New name was decided as "Reiwa". Only " R"is hit.

Rei" contains meening of  " joyous","orders".and  "wa" is "harmony" ,"peace"," unty" etc.

 

深夜過ぎて、一日のこだわりが終わってみると、少し粛然とする。

「令和」がいい時代になってほしいものだ。

 

 

 

錯雑とした近況

この「ブログ」に移ったら、入り口でまた「ダイアリー」と「ブログ」になっていてよく判らない。しばらく出まかせで書いていくことにする。

 

このところ、些細だが実にいろいろのことがあって、思考は錯綜している。思い出すことから。

発明協会の専門委員会で面白いことが起きている。「意匠」部門にとって、いい話になるといいが。全体選考会議の結果を待たないと何も言えないが。3/28

・JIDA(日本インダストリアルデザイナー協会)の一委員会主催だろうが、「クリエイティブ関連支援施策」について話の場が持たれ、経産省関東経済産業局の幸物正晃課長補佐が実情を離した。重要な点は、個人レベルなら補助金申請に応募しな方がいいということ。判っていることだが残念なことだ。自著の「クリエイティブ〔アーツ〕コア」を献本して、これからの日本のモノづくりのあり方を想定し、多面的に考えて貰うよう促した。3/22

・この後、昔、ゼネラル電気勤務時代にJIDA会員だったという佐藤勝義さんという方のトークがあり、偉い人だと感心。

その後、台湾へ、そこから中国に移って事業を拡大、現在に至っているようだ。デザイン・ビジネスから発展し、中小ながら中国でモノづくりに成功したようで「是非訪ねてきてくれ」と言われた。AI化が進む中でのモノを売る現状についてよく把握している。縁を保てればいいなと思っている。3/22

・港区役所主催の「クリエイティブシティMINATO」に出席。植田浩史慶応教授、長山宗広駒沢大教授が解析と、実働経験を語った。個人の立場について、どちらにも質問した。3/9

静岡文化芸術大学デザイン学部卒業生の内、卒制展示希望者の東京展示会初日パーティに参加。特に目を引く作品は無かったが、こんなものかと。少々、自己宣伝。3/8

・久しぶりにイタリア文化会館に。北川原温さんが対談相手に出るというので。何かしら講演会を聞いていても、居心地が良くない雰囲気を分析するような気持ちで、後から館長のパオロ・カルベッティ氏宛に献本と共に、和文参照をお願いしながら、かなり時間を掛けて手紙を送った。内容は日本語とイタリア語がもたらす齟齬について。3/20、手紙は3/25送信。

・自宅エレベーター設置につき、確認サービス村上さんを訪問。3/28

なお、2/18には港区役所に先行相談に行っている。

・「MASセミナー」テーマは「人と空間」。JIA(日本建築家協会)港地域会のイベントで、難しいテーマと思ったが、20人ほど集まり、それなりに盛り上がった。3/23

・港区環境審査会。現地を2か所ほど見て回った。3/12

・別の港区景観審議会。区民が選ぶ港区の景観応募の予備審査。メインテーマが「東京タワーと景観」なので、あたかも港区のシンボルが東京タワーであるかのような印象に。3/25

・墓参。鎌倉霊園及び建長寺内宝珠院。霊園の近くにある和食の峰本でランチをとるのが楽しみ。3/19

など、など。

 

 

 

 

クリエイティブシティMINATOを考える

東京都港区は全国的に見てrも、市民の「クリエイティブ能力」の高い地域であることが判明した。

今日はこのことの報告と講演会で、データの紹介と、これに基づく港区の産業対応策について意見や提案が述べられた。データからの状況紹介は、慶応経済学部の植田浩史教授、地域の活性化については世田谷区での体験をベースに若い駒沢大経済学部の長山宗広教授。

どちらの報告、講演に対しても、手を挙げて意見を述べた。

前者には、企業という視点が多かったのに対し、個人の存在についての視点を要求。また「デザイン業」の広範さについても指摘した。

後者には、以上の背景を意識する観点からイタリア体験も加え、個人事業者の救済(損失の補填は?、事業報告などはどうしているか)について、さわやか銀行のサポート如何や、世田谷区住民による「空き家対策グループ活動」などについて問いただした。

ご両人とも誠意をもって返事をいただいたが、どちらも、港区はクリエイティブ企業の育成には向いているとの判断を示していた。

今後の課題は、どうプラットフォームを創っていくかだ。